これはだいたい知ってはいたが、頭皮の痒みは我慢できたのだろうか。私など、毎日頭を洗わないと我慢できないので、タイムマシンで昔に行っても、すぐに音を上げるだろう。
平安時代の人はお風呂に月に1回しか入らないと聞きました。
平安時代の人はお風呂に月に1回しか入らないと聞きました。
気持ち悪いとか感じないのでしょうか・・・?
それにそれ以前に身体も頭皮もかゆいと思うのですが??
匂いはお香でごまかしていたという話ですが香水レベルの相当強い香りじゃないと無理ですよね??
(そんな香水レベルのお香があったのでしょうか?)
お肉も油もあんまりとらない食生活だから今の人とは全然身体が違うのかとも考えたのですが、それにしても月1回でお風呂に入るっていっても行水?とかなんですよね?
結構着飾ったりするのに匂いはお香でごまかすし垢だらけだし(身体も頭皮もかゆいし?)くしでフケをがんばってとらないといけないし、なんだか(現代人の)私から見ると不潔だな~と思ってしまいます。
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ベストアンサーに選ばれた回答
平安時代の入浴ですが、現在のように湯がたっぷり入った湯船に浸かるのではなく、蒸し風呂や薬風呂というのが一般的でした。この蒸し風呂というのは一種のサウナであり、麻の湯帷子(これが後の浴衣)を着て入り、座る時の尻の下に布を敷きましたが、この布が風呂敷の語源となりました。また薬風呂は薬草を蒸した風呂をいいます。
こうした蒸し風呂を利用していたのはもっぱら庶民であり、また水で体を洗う慣習も定着していたといいます。
それに対して平安時代の貴族ですが、彼らは入浴の慣習がなかったといいます。勿論全く風呂に入らないのではなく、たまに蒸し風呂に入るか、禊の時に水浴する程度で、殆ど体を洗わなかったといいます。これは迷信(当時は縁起の悪い日に入浴して垢を落とすと、毛穴ら邪気が入り込み命を失う)によるものだそうですが。今では迷信などバカバカしいとあまり気にしませんが、当時の貴族は大真面目であり、迷信がまかり通った時代でした。天災や病気、偶然がもたらすもんであっても、得体の知れない現象を怨霊の仕業と信じ込み、その怒りを避けるため神仏に祈ったくらいですので。
ゆえに当時の貴族は殆ど入浴をしないから不潔だという観念は持っていなかったと思います。
清少納言の「枕草子」には、「唐衣にしろいものうつりてまだらにならんかし」と書かれているそうです。着物に垢が移ってまだらになっていた、という意味だと思いますが、要は貴族の体は垢だらけでかなり臭かったということになります。おまけに女性の洗髪も月イチ程度だったので、むろん臭気がたちますが。
この体臭を消すために、臭い消しの香、即ち「薫物(たきもの)」が必需品でした。沈香、丁字、白檀、薫陸、麝香、貝香の6種類を中心に42種の香があったといい、これらをブレンドして焚いたといいますが、すざましい体臭をこの程度のものでは消せなかったのではないでしょうか。