1: 名無しさん 2023/03/23(木) 09:10:09.46 ID:drAmDwrx0● BE:837857943-PLT(17930)
老後に住みたい移住先 3位は北海道、2位は東京都、1位は?
不動産の買取再販業を行うAlbaLink(東京都江東区)は、全国の男女500人を対象に「老後に住みたい移住先に関する意識調査」を実施した。
老後に住みたい移住先の1位は、「沖縄県」だった。
老後に住みたい移住先の条件
老後に住みたい移住先の条件を聞くと、1位は「近隣に商業施設がある」(47.4%)だった。2位は「近隣に医療機関がある」(31.4%)、
3位は「交通の便が良い」(26.4%)と続き、生活の利便性を重視している人が多数いることが分かった。
老後に住みたい移住先
老後に住みたい移住先は、1位は「沖縄県」(75人)、2位は「東京都」(56人)、3位は「北海道」(43人)、4位「神奈川県」(38人)となった。
1位の「沖縄県」と回答した人からは、「海がとてもキレイで自然が多い。バスでどこにでもいけるため不便ではないから」(19歳女性)、「のんびり自分のペースで過ごせそうだし、あたたかい人が多そうだから」(54歳女性)などのコメントが寄せられた。
2位の「東京都」と答えた人からは、「徒歩圏内になんでもあるため、生活に困ることがなさそう」(23歳女性)、「老後の仕事や、体力低下後の移動手段がある。年間通して比較的暖かい。医療が充実している」(49歳女性)などの意見があった。
3位の「北海道」を選んだ人からは、「暑い気候が嫌いなので、夏になってもカラッとしている北海道が良い」(26歳女性)、「病院や公共交通機関も充実しており不自由はしなさそう。自然も多く心身ともにリラックスできそう」(42歳男性)などのコメントが挙がった。
調査は、全国の男女500人(女性319人/男性181人)を対象にインターネットで実施した。期間は3月3~7日。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2303/23/news068.html
悪の本質
私自身の別ブログの旧記事を転載。
冒頭が舌足らずだが、「このふたつ」とは、ゴミのポイ捨てと殺人である。
そして「最高の塔の歌」は私が前に持っていたブログだが、なぜか突然書き込みができなくなった(強制閉鎖された)ものである。「悪は量や大きさの問題ではない」は私自身の記事タイトル。
(以下自己引用)
冒頭が舌足らずだが、「このふたつ」とは、ゴミのポイ捨てと殺人である。
そして「最高の塔の歌」は私が前に持っていたブログだが、なぜか突然書き込みができなくなった(強制閉鎖された)ものである。「悪は量や大きさの問題ではない」は私自身の記事タイトル。
(以下自己引用)
悪が悪である理由
私の一生のテーマは、悪をこの世界から無くすことは可能か、ということを考えることであるが、その前提として、悪とは何か、なぜ悪を無くすことが必要なのか、ということを簡潔に示す言葉を「最高の塔の歌」というブログから引用しておく。
ただし、この世界では悪は現世的な「利」と結びつくことが多いので、悪は世界にとってほとんど不治の病になっている……。
(以下「最高の塔の歌」より引用)
悪は量や大きさの問題ではない
(下に引用した文章は)IT技術者で神秘思想家のKAYさんのブログの一節である。
この丹波哲郎の言葉は非常に面白いが、その意味は何か。
私なりに解釈すれば、この二つが同じなのは、それはどちらも「この世界を傷つける行為」だからだ。
そして、それは同時に、自分の精神の中の「神性」を傷つける行為だからだ。
ゴミを道に捨てる行為と、人を殺す行為は、どちらも、魂のダークサイドに身を委ねる行為だという点で同一なのである。
「悪」がなぜ禁ぜられるべきことなのか、という理由は、実はそれが世界毀損行為であり、世界破壊行為であり、世界汚染行為であると同時に、それが自己毀損行為だからである。
悪を為す人間は、この世界はもっと美しく生きることができるはずなのにそれを知らないという、ある意味では哀れな人間だろう。
(以下引用)
昔、「霊界の宣伝マン」と自称していた国際俳優の丹波哲郎さんは、「自動車の中からゴミを捨てる人がよくいるが、あれは殺人と同じなのだ」と言っていたことがあるが、歩き煙草なども、全くその通りなのである。
ただし、この世界では悪は現世的な「利」と結びつくことが多いので、悪は世界にとってほとんど不治の病になっている……。
(以下「最高の塔の歌」より引用)
悪は量や大きさの問題ではない
(下に引用した文章は)IT技術者で神秘思想家のKAYさんのブログの一節である。
この丹波哲郎の言葉は非常に面白いが、その意味は何か。
私なりに解釈すれば、この二つが同じなのは、それはどちらも「この世界を傷つける行為」だからだ。
そして、それは同時に、自分の精神の中の「神性」を傷つける行為だからだ。
ゴミを道に捨てる行為と、人を殺す行為は、どちらも、魂のダークサイドに身を委ねる行為だという点で同一なのである。
「悪」がなぜ禁ぜられるべきことなのか、という理由は、実はそれが世界毀損行為であり、世界破壊行為であり、世界汚染行為であると同時に、それが自己毀損行為だからである。
悪を為す人間は、この世界はもっと美しく生きることができるはずなのにそれを知らないという、ある意味では哀れな人間だろう。
(以下引用)
昔、「霊界の宣伝マン」と自称していた国際俳優の丹波哲郎さんは、「自動車の中からゴミを捨てる人がよくいるが、あれは殺人と同じなのだ」と言っていたことがあるが、歩き煙草なども、全くその通りなのである。
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