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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

加齢による感受性鈍磨

糸井重里という人間はべつに好きでも何でもないが、下で年齢と感受性に関して言っていることは同感である。まあ、年よりなら誰でも知っていることだ。
そして、それを「かっこいい」と言うところがいかにも糸井重里らしいが、そこには同意しない。鈍くなった感受性を放置することは、精神的な自殺だろう。どこがかっこいいのか。かっこいいのは、感受性鈍磨の代償として得た「判断力の速さと正確さ」にすぎない。


(「AERA」記事より抜粋転載)


糸井:感性そのものはどんどん鈍くなってますね。年をとって、感受性が強くなるってことは基本的にないと思います。

森川:え、そうなんですか。

糸井:感受性が強いというのは、目の前で火事が起きてもただ怖がっている状態で、一番何もできないですよね。なんで火事が起こったか、どう消すか、問題の核心に近づくためには、ピリピリしてちゃダメなんです。森川さんも、感受性は昔より鈍くなってるんじゃないかな?

森川:確かに恥ずかしいことは平気でできるようになりました。その分、本質と向き合えるようになったということですかね。

糸井:年を重ねて感受性がゼロに近づいていく。いやあ、これはカッコイイですよ!
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