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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「書くこと」「問題とその解決」

私は、自分が嫌なことはしないという主義なので、ブログはもちろん趣味で書いている。書くことによって考えが生まれてくるので、書くのに苦労は無いし、だから長く続いている。これが、義務で書いていたら、毎日が苦痛だろう。
で、書くことで考えが生まれるというのは、「徒然草」でも、「筆取れば物書かれ」と書いているとおりで、書くことが次の考えを連想的に生み出すのである。
これが、「最初から設計図を作って書く」のだと、書く楽しみがあるのかどうか。
児童文学どころか世界文学の最高峰のひとつと私が見ている「不思議の国のアリス」は、ボートで川遊びをしながら、思いつきで語り始めた話が原形であるらしい。そして、アリスを兎の入った穴の中に落とした後どうするか、その時点ではまったく考えていなかったと言う。「不思議の国のアリス」の奇想天外さ、予想することすら思いもさせない展開は、そこに理由があったのかもしれない。
かりに私が物語を書くとしたら、その作品もそういうものでありたいものだ。

ついでに言っておけば、私は「推理小説」があまり好きではない。登場人物が、話のために存在するだけの操り人形でしかないように思えるからだ。そのキャラも、キャラ作りのために特徴を付与されただけの作り物に思える。まあ、そうでない作品もあるにはあるが、とにかく、「謎のための謎」というのが馬鹿馬鹿しい。謎は無くても、読者を考えさせ、先を読み進めたい気持ちにさせる小説が理想である。
そうは言っても、謎というものは物語の先を読み進めたい気持ちにさせるもの(私はこれを「小説エンジン」と言っている。)の最大のものではあるだろう。謎と言わずに「どう解決されるか気になる問題」と言うほうがより適切か。たとえば、「高慢と偏見」を先へ先へと読み進めさせる小説エンジンは、ベスとダーシーはどうなるのか、という「問題」の解決を知りたいという気持ちだろう。そういう意味では、恋愛小説と推理小説とはさほど大きな懸隔は無いとも言えそうだ。
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