丹田と気合
前回の続きだが、肥田春充の強健術の中で私が少し関心を持った部分を引用しておく。主に丹田と呼吸法である。まあ、要するに下腹部の筋肉に力を入れるのが「気合」だということらしい。丹田とは下腹部の筋肉という解釈でいいのではないか。
(以下引用)
では、具体的に「下腹部の緊張」、「氣合」とはどのようなことであろうか?
春充の言葉を見てみよう。
「(氣合とは)もっと分かり易く具体的に云うと、氣海丹田に力を込めることである。更に生理上から極めて平易にいうと、私が時々繰り返した所の『下腹部の緊張』ということになる。解剖学的に云えは『腹直筋の緊張』である。即ち横隔膜の操練によって、腹部諸機関を圧下すると共に、下腹筋肉を緊張させて、臍下一寸五部の所に力を込めるのである。下腹部の緊張は氣合の全体ではない。けれどもその最大要件である。その根底である。しかもこれを体育に応用し来たった場合、私は飽くまでも科学的に『腹直筋の緊張』を以って足れりとするのである。これだけ呑み込んで置いて呼吸を計り、精神を定め、注意力を集中し、しかも恬淡虚無、以ってこの腹筋の鍛錬を続けて行くならば、その矛盾の妙境から自然と『氣合』は会得せられてくるのであろう。」
これは、第3冊目の著作となる「心身強健術」(大正3年 武侠世界社刊)からの引用であるが、ここに簡潔に氣合と、下腹部の緊張についての解説を見ることができる。
このように、初期の強健術では下腹部に力を入れて緊張させることが最も大切な要件であった。これは「腹力」と呼ばれ、これにちなみ2冊目の著作は「腹力体育法」(大正元年 文栄閣刊)であった。この「腹力」が発展して後の「中心力」になるのである。しかし、このことについては後に詳述したい。ここでは、強健術の根本的原則が、「下腹部の緊張=腹力」「氣合」であることに注意をとどめておきたい。
先述したように春充は、この氣合によって練習回数と時間の短縮を図ることに成功している。春充は言う、
「運動法で、運動回数が少なく、時間を要せぬのも、これ(氣合)がためである。『氣合』を込めて運動をやれば、時間を長くやる必要は―断じてない。」
春充は最初この氣合いを、書物をもって会得しようとした。しかし、生まれ故郷で求めた柔道の本には、この氣合について残念ながら一言も触れていなかったと言う。その後、撃剣その他の武芸に関する書物を調べたり、角力や剣舞や礼式の本などを読んでこれを修得しようと努めた。さらに上京してからは、舞や踊り、旧派演劇や軽業等を観察して、氣合の秘密を解こうとした。
このような努力の結果、体勢の変化は腰が基礎で、その働きを外に表すのは脚であることに気付いたという。そして、腰の大切な所以はどこにあるのかというと、それは腰を据えるということであり、腰を据えるということは、下腹に力を入れることであると結論づけている。そして、この下腹を緊張させて活気を与え、これに生命を点ずるものが氣合であるとしている。また、端的に「氣合即ち下腹の緊張の修練」とも表現している。こうしてみると、氣合、下腹部の緊張、腹力の三語は、ほぼ同義語として用いられていることがわかる。
また、春充は氣合について次のようにも語っている。
「鍛冶屋の槌の一上一下にも、理髪師の鋏の虚実の中にも『氣合』はある。機先を制して人を服せしむるのも、端的に発して以外の功を収めるのも、皆『氣合』の力である。暫くこれを自得と云い、修養と云うとは云え。要するに各人が自ら衷に備えている自然の力に他ならぬ。のみならず、虎の躍らんとする、鷹の飛ばんとする、其処に自ずから『氣合』は生ずる。窮鼠却って猫を咬むのは、そこに『氣合』が充ちているからである。寒風が颯々として松の枝を払う。そこにも天来の『気合』はあるのだ。」
・初期強健術の完成とその効果
この四大要件および氣合、腹力を原理として、初期の強健術は完成した。すべてで10の運動よりなる練修法であり、現在の気合応用強健術の原点となる型である。
この型の実習により春充は、まず血液の循環が著しくよくなったという。それまで、青白く死んだような皮膚が活き活きとしてくることがはっきりと実感できた。このように血行がよくなると、身体が暖かくなって冬でも薄着となり、冷水をかぶることが好みとなったという。
そして、肉体の各所には当初の目論見通り、バランスよく隆々たる筋肉がついてきた。また、変化したのは肉体ばかりでは無かった。それまで、陰気であった態度、性格がガラッと変わり、活発で活気が出てきた。そして気持ちにも落ち着きが出、物事に動じなくなった。こうして、冒険的なことを好むようになり、暴風雨の中、川を泳いだり、夜中に高山に登ったりするという無茶を好むようになった。
このように春充は、身体を改造する練修をして、身体ばかりでなく精神までが大きく変化した。これは、春充自身も予想もしていなかったことである。後にこの原因を強健術の基礎に、「下腹部の緊張」つまり「丹田」を練ることを、取り入れたからであろうと春充は考察している。
また、精神が壮快になると同時に頭脳も明晰になって記憶力がよくなり、後述するが3大学4学部を優秀な成績で卒業している。
また、食事も小食になり淡白なものを好み、特に澄んだ水は最も好むものとなったという。
(以下引用)
では、具体的に「下腹部の緊張」、「氣合」とはどのようなことであろうか?
春充の言葉を見てみよう。
「(氣合とは)もっと分かり易く具体的に云うと、氣海丹田に力を込めることである。更に生理上から極めて平易にいうと、私が時々繰り返した所の『下腹部の緊張』ということになる。解剖学的に云えは『腹直筋の緊張』である。即ち横隔膜の操練によって、腹部諸機関を圧下すると共に、下腹筋肉を緊張させて、臍下一寸五部の所に力を込めるのである。下腹部の緊張は氣合の全体ではない。けれどもその最大要件である。その根底である。しかもこれを体育に応用し来たった場合、私は飽くまでも科学的に『腹直筋の緊張』を以って足れりとするのである。これだけ呑み込んで置いて呼吸を計り、精神を定め、注意力を集中し、しかも恬淡虚無、以ってこの腹筋の鍛錬を続けて行くならば、その矛盾の妙境から自然と『氣合』は会得せられてくるのであろう。」
これは、第3冊目の著作となる「心身強健術」(大正3年 武侠世界社刊)からの引用であるが、ここに簡潔に氣合と、下腹部の緊張についての解説を見ることができる。
このように、初期の強健術では下腹部に力を入れて緊張させることが最も大切な要件であった。これは「腹力」と呼ばれ、これにちなみ2冊目の著作は「腹力体育法」(大正元年 文栄閣刊)であった。この「腹力」が発展して後の「中心力」になるのである。しかし、このことについては後に詳述したい。ここでは、強健術の根本的原則が、「下腹部の緊張=腹力」「氣合」であることに注意をとどめておきたい。
先述したように春充は、この氣合によって練習回数と時間の短縮を図ることに成功している。春充は言う、
「運動法で、運動回数が少なく、時間を要せぬのも、これ(氣合)がためである。『氣合』を込めて運動をやれば、時間を長くやる必要は―断じてない。」
春充は最初この氣合いを、書物をもって会得しようとした。しかし、生まれ故郷で求めた柔道の本には、この氣合について残念ながら一言も触れていなかったと言う。その後、撃剣その他の武芸に関する書物を調べたり、角力や剣舞や礼式の本などを読んでこれを修得しようと努めた。さらに上京してからは、舞や踊り、旧派演劇や軽業等を観察して、氣合の秘密を解こうとした。
このような努力の結果、体勢の変化は腰が基礎で、その働きを外に表すのは脚であることに気付いたという。そして、腰の大切な所以はどこにあるのかというと、それは腰を据えるということであり、腰を据えるということは、下腹に力を入れることであると結論づけている。そして、この下腹を緊張させて活気を与え、これに生命を点ずるものが氣合であるとしている。また、端的に「氣合即ち下腹の緊張の修練」とも表現している。こうしてみると、氣合、下腹部の緊張、腹力の三語は、ほぼ同義語として用いられていることがわかる。
また、春充は氣合について次のようにも語っている。
「鍛冶屋の槌の一上一下にも、理髪師の鋏の虚実の中にも『氣合』はある。機先を制して人を服せしむるのも、端的に発して以外の功を収めるのも、皆『氣合』の力である。暫くこれを自得と云い、修養と云うとは云え。要するに各人が自ら衷に備えている自然の力に他ならぬ。のみならず、虎の躍らんとする、鷹の飛ばんとする、其処に自ずから『氣合』は生ずる。窮鼠却って猫を咬むのは、そこに『氣合』が充ちているからである。寒風が颯々として松の枝を払う。そこにも天来の『気合』はあるのだ。」
・初期強健術の完成とその効果
この四大要件および氣合、腹力を原理として、初期の強健術は完成した。すべてで10の運動よりなる練修法であり、現在の気合応用強健術の原点となる型である。
この型の実習により春充は、まず血液の循環が著しくよくなったという。それまで、青白く死んだような皮膚が活き活きとしてくることがはっきりと実感できた。このように血行がよくなると、身体が暖かくなって冬でも薄着となり、冷水をかぶることが好みとなったという。
そして、肉体の各所には当初の目論見通り、バランスよく隆々たる筋肉がついてきた。また、変化したのは肉体ばかりでは無かった。それまで、陰気であった態度、性格がガラッと変わり、活発で活気が出てきた。そして気持ちにも落ち着きが出、物事に動じなくなった。こうして、冒険的なことを好むようになり、暴風雨の中、川を泳いだり、夜中に高山に登ったりするという無茶を好むようになった。
このように春充は、身体を改造する練修をして、身体ばかりでなく精神までが大きく変化した。これは、春充自身も予想もしていなかったことである。後にこの原因を強健術の基礎に、「下腹部の緊張」つまり「丹田」を練ることを、取り入れたからであろうと春充は考察している。
また、精神が壮快になると同時に頭脳も明晰になって記憶力がよくなり、後述するが3大学4学部を優秀な成績で卒業している。
また、食事も小食になり淡白なものを好み、特に澄んだ水は最も好むものとなったという。
PR